ここに懐石が華美華麗を主としないという逸話があります。
我国軍医の草分けとして知られる石黒忠悳(いしぐろただのり)翁の話。
牛込早稲田に赤沢閑甫という茶人がすんでいた。わしより三十くらいも年長だが元気な老人であった。
作州津山の藩主松平氏の茶道であったがお気に入りだったので、御維新の際に茶室を賜った。
閑甫翁はその茶室の傍らに六畳一間の粗末な家を建て、ばあさんと二人ここに住んで、光風霽月、終生茶を楽しんで終った。
わしは友人五、六名と共にこの庵へ招かれたことがある。
老人は貧乏、すべて簡素なこしらえで、その茶料理のめし、汁、向うづけ、とりざかな、ゆずゆもの、香のもの、菓子、茶と型通りに品は出るが、この汁(味噌しる)の実がしじみ貝、やきものが薩摩いもであった。
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