埼玉県さいたま市大宮区の日本料理・和食の真髄、懐石料理を伊勢錦にてご賞味下さい。

伊勢錦の懐石

伊勢錦の懐石

伊勢錦の懐石

そもそも、懐石とは日本唯一の伝統的食スタイルのことであり、そのルーツは禅僧の「温石(おんにゃく)」、いわゆる“一汁一菜
(いちじゅういっさい)”に行き着きます。本来己を知るために質素にして適量を摂ることを美徳とする料理であったものが、
やがて安土・桃山時代末期、千利休によって茶の道が哲学的に昇華され、「食」は茶懐石としてさらに洗練・発展することになります。
とかく懐石というと格式だのしきたりだのが取り沙汰されますが、本来は古く利休の頃より斬新な心尽くし、
創意工夫を旨としその当時は先端の文化であったはずです。

ここに懐石が華美華麗を主としないという逸話があります。
我国軍医の草分けとして知られる石黒忠悳(いしぐろただのり)翁の話。
牛込早稲田に赤沢閑甫という茶人がすんでいた。わしより三十くらいも年長だが元気な老人であった。
作州津山の藩主松平氏の茶道であったがお気に入りだったので、御維新の際に茶室を賜った。
閑甫翁はその茶室の傍らに六畳一間の粗末な家を建て、ばあさんと二人ここに住んで、光風霽月、終生茶を楽しんで終った。
わしは友人五、六名と共にこの庵へ招かれたことがある。
老人は貧乏、すべて簡素なこしらえで、その茶料理のめし、汁、向うづけ、とりざかな、ゆずゆもの、香のもの、菓子、茶と型通りに品は出るが、この汁(味噌しる)の実がしじみ貝、やきものが薩摩いもであった。

金にあかした品々よりも茶料理としてはこの方におもむきが多い。
わしは汁を吸いながら貝のからを一つ一つお椀のふたの上へ並べてみた。
そして「どうもお心づくしの結構なお料理、ことにこの汁はうれしく思います」というと、老人は非常に喜んで、
「その汁にお目をおとめ下さって何よりもありがたい」といった。
しじみの貝がみんな同じ大きさで、つまり粒を揃えたところに老人の心がまえがある。金がないので心で食わせる料理であった。
近頃は同じ茶をやってもただ贅沢ばかりで、こんなおもむきのあることをする主人はいなくなった。
(子母澤 寛 「味覚極楽」―昭和2年東京日日新聞掲載 「しじみ貝の殻」より抜粋)

当伊勢錦はこの閑甫翁のもてなしを手本に、伝統的な料理法を大切にしつつ、洗練されたお料理とゆったりとした空間を
ご提供いたします。お客様には形式にとらわれていただかず、気軽な雰囲気の中で会話を楽しまれながら、満ち足りたお気持ちを感じていただきたいと存じます。